相模川沿いにあった厚木花街の歴史とは!?

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厚木花街跡を、いざ現地取材!

1957(昭和32)年の厚木花街

前のページで厚木の歴史、そして厚木花街の歴史を簡単に紹介したところで、今度は実際の花街跡を訪問してみることに。

厚木中央図書館と神奈川県立図書館を訪問したところ、一番古い住宅地図は1960(昭和35)年だったため、その地図をもとに現在の地図に落とし込んでみました。この頃は旅館や料亭が15軒ほどあったようで、二業組合と三業組合の事務所もあったみたいですね。

厚木の花街跡に料亭の遺構があるなんて情報は全くないので、遺構はないとは思っていましたが、何か発見があればと現地へと向かうことに!

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料亭の遺構は一つも残っていない

厚木市の中心部である本厚木駅

厚木花街は、小田急線の本厚木駅から徒歩15分くらいの場所にあったようで、早速小田急線に乗って本厚木駅へと到着した私。知の冒険を始めて、神奈川県はかなりいろんな場所に行ったつもりでしたが、なんだかんだ厚木市ってそんなに調査が出来ていないというね。

というのも、厚木市って博物館がそんなに多くなかったりで他の市に比べて取材箇所が多くなかったりでして。。

料亭が建っていた通り

で、駅から相模川方面へと歩いていき花街があった場所へと到着。この通りの周辺に見番や料亭が建っていたようですな。。とはいっても、現在は住宅街になっていてそんな街だったとはそうそう思えない感じですね。

とはいっても、ポツポツと古い飲み屋があったりで歓楽街だったわずかな片鱗らしきものも見受けられました!

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厚木産業組合事務所があった場所

こちらは厚木三業組合の事務所があった場所。今ではアパートになっていて一階は洋食屋みたいな看板がありますが、今はもう営業しているのかどうなのかわかんなかったっす。。

営業してれば聞き込みも兼ねて昼飯を食べようと思ったんですけどね~。

住宅街の中にスナックの看板三連発!

ここにある「寿司処 新亀」さんも、この辺では割と長いお店だとか。

ここは松家という料亭でしたが、外回りだけはそんな感じがしなくもない雰囲気ですな~。今は普通の住宅でしょうけども。。

シャッターに描かれたかつての風景

そんな感じでこの辺はほぼ歩き尽くして結構詳しく見て回りましたが、花街跡に痕跡らしきものは全くなく、さらに聞き込みできそうなお店もなかったので、花街跡周辺を散策することに。相模川に沿った大通りを歩いていると、何やらシャッターに昔の宿場町を感じさせる様子が描かれていました(*’▽’)

こういうのいいね~。こういうのを見ながら昔を懐かしむのってなんか好きなんですよね!

こちらには”髪結所”が描かれておりますがな。髪をセットしているのは芸者さんですかね。一応ここが本当に髪結所だったのかは確認してみましたが、1957年の地図を見る限りは違いました。。

通りの先には、かつてここに「厚木の渡し」があったことを知らせるための碑が建っていました。今よりも水量が多かった当時の相模川は、まだ橋がなかったころは渡し船がでていて、その船によって対岸へと渡っていたんですな~。

神奈川県の中心部を流れる相模川

相模川に橋がかかったのは1913(大正2)年でした。しかし、この時かかった相模橋は両端が木橋で中央のみ釣り橋であったこともあり、1923年の関東大震災で損傷してしまい、1926(大正15)年に新しい橋がかかることになります。

この橋が完成したことによって、対岸の高座郡方面の人々が多く押し寄せて必要な物資などを購入していったそうです。

今では鮎釣りやBBQを楽しむ方々を目にするこの川ですが、まだ橋が架かってない頃はこの川によって人の行き来が分断されていたようです。

地図を見ると、まだ花街があった頃は相模川沿いにも割烹料理屋があったそうで、広大な相模川を眺めながらの芸者遊びはさぞ粋な遊びだったんでしょうかね。

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現在も行われている酉の市!

厚木花街跡に残る大鷲神社

相模川からまた本厚木方面へと戻る途中、一つの鳥居を発見しました。

ここは厚木花街の少し南側になるんですが、大鷲(おおとり)神社があるんですよね、今でも。周辺には昔の建物は残っていないものの、この神社だけは見事に残されているというような感じ。

この大鷲神社がいつからここに創建され、いつから酉の市が始まったのかは明らかではないですが、明治の中期頃という説があるそうです。ここの酉の市は、裏町に住む芝居の道具師である中村屋安太郎・倉田屋豊作・酒井仙吉などが発起となって東京浅草にある鷲神社にちなんではじめたとのこと。

横浜で開催される酉の市

神奈川県でいうと、横浜の真金町郭跡や平塚遊郭跡に今でもある酉の市は知っていましたが厚木でも行われていたとは知らんかったな〜。

この酉の市は今でも続いているようで、二店の熊手を売る商店やそのほかの屋台が並ぶという。今年の11月、もし時間があったら訪問してみようかな!

花街跡に残る飲み屋通り

非常に閑静な飲み屋通り

料亭の遺構は一つも残っていない厚木花街跡ですが、かつての歓楽街の名残ということかこの通りだけは数軒の飲み屋やお寿司屋さんが営業していました。

しかし、今では本厚木駅前が賑やかな状態ですのでここは地元の人でも飲みに来る人は少ないんじゃないかと思われます。人通りもほとんどなく、昔からの常連さんがかろうじて訪れるといったところなんですかね~。

結構古そうなスナックだ!

そんな感じで飲み屋があるわけですから、聞き込みをしないわけにはいかないっすよね。ということで、営業していて昔からやってるっぽいお店を探して訪問してみることに!

まずはスナックからですね(*’▽’)

まさに昭和のスナックという雰囲気

中に入ると、ママさんと助手のお姉さんがおりました。お客さんはまだ誰も入っていないようっすね。

早速お店に来た背景を伝えて聞き込みをしてみると、この「すずらん」というスナックは今から20年前から営業しているお店。ママさんは元々京都の方だったが、厚木に移って知り合いのツテで今の店舗でお店を出しているとのこと。

ママ:「私はここに来て20年くらいだからね、芸者さんのことはわかんないかな。でもね、飯山の方には芸者がいたからよくお客さんが飯山の芸者を連れて二次会でここを使ったりしてたよ。」

私:「飯山の芸者もここまで来るんですね。この辺で古くて厚木花街のこと知ってそうなお店ってありますかね?」

お姉さん:「一本向こうの通りに新亀さんっていうお寿司屋さんがあるの。あそこは二代目の方がやってて結構長いと思うよ。」

ママ:「そうね、あとは斜め向かいの栄寿司さんかな。あそこも結構古い店だから、そっちの方が聞けるかもしれないね。」

ということで、少し酒が回ってふらふら状態になりながらもこのスナックの取材は引き上げることにして、斜め向かいにある栄寿司さんを訪問することに。。しかし、相変わらずアルコールには鬼のように弱い私。。

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