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小津安二郎と茅ヶ崎館
小津が初めて茅ヶ崎館を訪れたのは、太平洋戦争が開戦した1941(昭和19)年の『戸田家の兄妹』の海岸ロケの時。そして、茅ヶ崎館二番の部屋を映画の脚本を書くための仕事場と決めるのは、同年の夏の『父ありき』から。
小津安二郎監督は「小津調」という独特の世界観今もなおファンは多く、それは日本国内に限らず世界中にいるというからそれはそれは偉大な方なんですね。
とはいうものの、小津監督に関しては時代が違いすぎて名前くらいしか知らない私。。
レンタルビデオ屋でバイトしたこともあって名前は知ってましたが、今の時代に生きる若い人となると、名前すら知らないって方は多いんじゃないっすかね。
何で彼が茅ヶ崎館で脚本を書いたのかというと、戦前からの仲間で一緒にシナリオを作り、一緒に遊んだ池田忠雄や柳井隆雄が茅ヶ崎にいたためでした。さらには、茅ヶ崎は、太平洋海岸地方特有の温暖な気候なのが寒がりの小津監督には気に入ったようです。
静かで、どこかのんびりしていて「学生下宿」を思わせるこの旅館を気に入ったという。二番以外に、一番、三番の部屋も松竹の部屋として常時用意されていました。
監督が滞在した二番の部屋
そんな小津監督は、茅ヶ崎館の「二番」の部屋に滞在していました。今でも、小津監督ファンが茅ヶ崎館に宿泊するとなると皆が泊まりたがるという人気の部屋なんですね。
今回、私が宿泊するときにもすでに先約がいたため、私は別の部屋に泊まる予定だったんですが、急遽その人がキャンセルになったため泊まれることに!
何というラッキー(*´▽`*)
小津監督は、池田忠男と泊まり込んで脚本を考えました。小津の場合、他の監督のように最初にストーリーがあるわけではない。シナリオは大概オリジナルで、原作(小説)の映画化は数えるほどしかない。
脚本作りも小津監督には独特の流儀がありました。脚本家と寝食を共にしながら、最近思うこと、聞いたことを雑談し、冗談を挟み、話し合いながら「映画にしたら面白い話」などを探し出す。
そして、身辺の面白いエピソードを拾いながらイメージを膨らませてだんだんと物語を固めていく。
小津監督が滞在していたのは1946~1956(昭和21から31)年までだったそうです。
毎年、 晩秋に訪れて翌年の5,6月まで滞在して映画のシナリオを書いたようで、日数にすると1年で150~200日ですかね。この部屋で書いたシナリオの中には、『晩春』『麦秋』『東京物語』の三大名作もあり、そう考えるとこの部屋の存在意義は大きい。
今になっても、日本に限らず海外から小津監督ファンがこの部屋に泊まりたいと訪れるのもわかりますね!
しかし、小津監督が茅ヶ崎館を去って半世紀以上が経つんですね。それでも、こうして部屋がそのまま残っているというのは実に感慨深い。本当、災害や空襲にもあわず、よくぞ生き残ってくれた!!
そんな二番の部屋、「いろんな献立を食べたい」とのことで、近くの金物店で調理道具一式を購入して干物を焼いたりと、調理まで許されていました。
朝は目玉焼きやベーコンエッグを作り、豚鍋、鶏スープ、カキフライ、ハンバーグなどなど。酒好きな小津監督、茅ヶ崎館では月桂冠と決まっていたようです。
小津監督が寄り掛かった床柱、部屋で小津監督が調理をしたため油照りしてしまった天井板、飲み終えた一升瓶に番号をふって並べた廊下もそのまま残っているのです。
歴史ある館内をご案内
ではでは。ここからは国の登録有形文化財にも登録されている茅ヶ崎館の館内を紹介していきますね!
洋風な雰囲気が漂う応接間
記事の最初の方で応接間は一旦紹介しましたが、ここでもう一回詳しく紹介することにしましょう!
全体的に話な雰囲気の館内ではあるものの、ここだけ洋風チックなわけですな。
こちらの棚には小津監督に関するものや、茅ヶ崎館の扇子だとか周辺で撮られた写真だったりが展示されているようです。
これは映画のパンフレットですね。
こちらの本棚には茅ヶ崎館のみならず、茅ヶ崎市に関する様々な資料などが陳列されておりましてですね、、
今回は記事を書く上でも色々と参考にさせていただきましたよ!
特に、石坂昌三著の『小津安二郎と茅ヶ崎館』の本は今回の記事を書く上でも結構参考にさせていただきました。他の本もちょっと目を通したものの、全部は見切れませんでしたが・・( ;∀;)
こうした風情ある造りも見られる。
国木田独歩の葬儀が行われた広間
続いては広間っすね。ここは南湖院で亡くなった国木田独歩の葬儀を行った場所でもあり、今ではお花・お茶・俳句の席、あとは琴の演奏会などのイベントも行われるそうです。
そうそう、庭もね、とっても気持ちいいんですよ。住宅地とは思えないほど、庭には木々が生い茂り緑が広がる。これは癒されますわ~~。
極上の檜風呂がたまらん
ちなみにこの茅ヶ崎館、私はお風呂に関してもすごくよかった思い出がありましてね、ここはお風呂が檜風呂なんですね。
いや〜この檜風呂、木の香りがほのかにする中での入浴は、本当に極上のひとときでしたよ。
あ~~記事書いてて、またここ泊まりに行きたくなってくるわ~。
そんなお風呂場はもう一つありまして、こちらは扇型の湯船に少々タイルが敷枯れていると言う感じ。
そして天井を見上げてみると、、、
これはまた素晴らしい造りっすね〜。放射状に広がる木造の天井で、何か独特のデザインっすな。そして、中央には色ガラスがはめられておりましたよん。
樹木希林さんが、最後の作品の撮影に
明治に創業し、大正に発生した関東大震災の後は、腕のいいことで評判だった南湖の大工の手で新築したのが、現在も残る茅ヶ崎館の建物です。
茅ヶ崎は、戦時中の空襲を経験しています。お隣の町である平塚市には、海軍火薬廠という海軍専属の火薬工場があったこともあってか大規模な空襲被害があり、茅ヶ崎は海軍工廠を目的にした編成隊からはみ出したB29によって1,000発もの焼夷弾が落とされています。
しかし、茅ヶ崎館はそのコースから外れていたこともあって無事でした。
太平洋戦争の末期には、南湖院は海軍に接収されて廃業し、茅ヶ崎館は海外線守備隊の陸軍将校の宿舎になりました。
獅子文六が小説を執筆したり、劇作家の木下順二が舞台劇曲を書くためにも滞在。映画人では森崎東が二番の部屋に滞在。
さらに、割と最近の話では女優の樹木希林さんが、最後の出演映画『命みじかし、恋せよ乙女』の撮影に訪れました。女将さんからは、樹木希林さんとその時にお話ししたもいでなども語っていただきました。
あっ、あとは是枝裕和監督ですね。是枝監督も毎年のように茅ヶ崎館にやってきては脚本を書いているそうです。茅ヶ崎では、2012年から茅ヶ崎映画祭というイベントが毎年開かれており、その実行委員であるのが今の茅ヶ崎館の社長である森さんであり、茅ヶ崎館の大広間も会場として使用されたこともあります。
YouTubeに、森さんが司会を務める是枝監督とのトークショーの映像が上がっているので、張り付けておきます。
という感じで、茅ヶ崎館は昔だけでなく、今も監督や脚本家たちに親しまれている宿なのです。
東京からそんな遠くない茅ヶ崎ではあるものの、都会から外れた感性で夜はほのかに波の音が聞こえる茅ヶ崎館。本当に素晴らしい宿っすよ!!
おわりに
以上ですかね。
茅ヶ崎の住宅街にひっそり佇む茅ヶ崎館、訪問して色々話を聞いてみると、様々な歴史があって館内も見応えがあり本当に宿泊してよかったです!
私はまだ小津監督の作品を一つも見たことがないんですが、せっかく二番の部屋にも泊まったことですし、社長さんもオススメの『東京物語』でも見てみようかしら!
ではでは、今回はこの辺で。
参考文献
詳細・地図
住所 | 神奈川県茅ヶ崎市中海岸3丁目8−5 |
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駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0467-82-2003 |
アクセス | JR茅ヶ崎駅から徒歩20分ほど |
リンク | http://chigasakikan.co.jp/ |