弁護士に騙された!?舟運で栄えた千葉県松戸市にあった「平潟遊郭」が迎えた結末とは!

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平潟遊郭跡の生き字引に取材!

この方なら何か知っているかも

平潟遊郭跡をひと通り歩き、来迎寺の方にも取材をして「ん~まぁ現地での収穫はこのくらいかな~」と、ぼやいていたら、目の前にゆっくり歩みを進める老婆を発見!

カメラを持つ私をチラ見してトボトボと歩く老婆。おそらくは、「こいつはカメラなんか持ってここで何してるんじゃ?」とか思っていたんじゃないかと。

ただ、もしこの方がここの生まれの方だったら平潟遊郭に関して何か聞けるかもと思い、突撃して話を聞いてみることに!($・・)/~~~

私「あ、すみません。ちょっと松戸の歴史を調べてまして・・ここは昔遊郭があったとか・・」

老婆「あ~そうだよ。ここにずらっと女郎屋が建ってたんだよ!」

遊郭とか、この手の取材は街の黒歴史に当たるということで、ごく稀にブチギレられることがあるんですが、今回は大丈夫なようだ。。

一安心や・・( ̄▽ ̄)

取材に対応していただいた老婆

私「お母さんは、いつからこちらに住まわれてるんですか?」

老婆「私は生まれてからずっとここに住んでるよ。私は昭和二年生まれ。今年でもう93歳。」

老婆「今はもう建物が変わってしまって、昔の雰囲気は残ってないわ。ここらへんマンションがたくさん建ってるでしょ。その敷地が広い場所が全部女郎屋だったわ。すぐそこが宝家、三井家、あっちが鈴金、向こうには喜楽なんてのもあったね。」

93歳にしては耳もよく、かなりハキハキしゃべるおばあちゃん。やはり、遊郭街という特殊な環境で育った人は、たくましく育つということなのだろうか。丸山遊郭で育った美輪明宏さん、永真遊郭で育った桂歌丸さんを見るとそう感じてしまう。しかし、まさか1927(昭和2)年生まれの方に出会うとは(@_@)

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この街は弁護士にだまされた?

そうなんですよ、平潟遊郭跡の住宅地図は1962年、1974年、1985年と見ていて気づいたのは、何かやたら育英センターという学生寮が多いということ。

日本大学歯学部の校舎があることからここに通う生徒が住んでいたんですかね。「何か多いな~」くらいに思っていたんですが、老婆の話を聞くとそれは単純な話ではなかったみたいです。。

老婆「この辺はやたら大きなアパートが多いでしょ!皆んな騙されたの、Y(一応本名は伏せてイニシャルに・・)っていう弁護士にね!」

私「えっ!?なぬ?」

老婆 「だから、騙されたの!」

老婆「女郎屋やってた主人なんかはね、弁護士にあれこれやられると太刀打ちできるほど学力ないでしょ。女郎屋の後は旅館に転業したのもあったけどね、土地の権利を奪われたら続けられないでしょ。だから、女郎屋の主人達はみんなここ出ていっちゃったよ。以前は皆の繋がりがあったけどねぇ、そんなことがあって近所付き合いも途絶えちゃったわ。」

ということらしい。

話をまとめると、ここは売春防止法が施行される1958年までは、遊郭(後に赤線?)でした。戦後、遊郭だった建物は戦災者寮や外地引揚者寮、さらにはダンスホールや旅館になったという。旅館とは、今でいうラブホテルの前身である連れ込み旅館だったんでしょうか。

売春防止法施行後は、貸座敷業七軒が土地建物の不動産を現物出資して、日本育英事業助成株式会社(柳仙育英センター)という学生寮に転換。その会社の社長がY弁護士だったそうです。しかもこの弁護士、色々調べてみると千葉の選挙区から出馬して民主自由党の国会議員にもなっています。

遊郭跡には今もマンションが建っている

遊郭だった場所は後に、三井家(一号館)、以下順に鈴金楼、福田家、百年、叶家、浜名家、豊川楼の七号館までが学生寮となったそうです。現在も、遊郭があった場所には多くのマンションが建っていますが、今でもこれらは学生寮なんですかね?

最終的には、Y弁護士に不動産の権利が渡り遊郭経営者はここを去った。それにより、住民達の交流がなくなっていき街がすっかり変わったというのが、平潟遊郭だった街の現在のようです。

ま、老婆が言っていた「騙された」というのはそれぞれの立場によってどう感じるかも異なるので本当に騙されたのか、地元側にそのように被害者意識を持っている方がいるだけなのか、詳しい背景はわかりませんけどね。。

とりあえず、長く暮らしている方にはそう思っている人が一人いるということだけ、書いておきます。

おわりに

遊郭だった歴史は静かに消えてゆく

いくらかの資料が残っており、ついでがてらに取材してみた平潟遊郭跡。今やすっかり街が変わってしまった背景には、学生寮などのアパートが建つという動きがあったことが大きいらしい。

唯一の名残り?と言えるのは、テニスコート脇に立つ巨大な柳の木のみ。。

マンションや新しい一戸建てが建つことで、遊郭だった痕跡は消えて行き街は変わっていきました。もしかしたら、話を聞かせていただいた93歳の老婆こそが、遊郭時代を知るこの街の最後の生き証人なのかもしれない。

参考文献

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詳細・地図

住所 千葉県松戸市松戸2200番地辺り
アクセス JR松戸駅から徒歩10分ほど

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コメント

  1. 石上瑠美子 より:

    この年配の女性と同じように仰る方は、昔の松戸には大勢居ました。
    その弁護士の家もいままだ松戸に変わらずにあるのが不思議です。
    私は昭和39年~41年まで遊郭の建物(元宝家)に住んでおりました。
    幽霊が出るなど諸々いわくつきの家でしたが、懐かしく拝見いたしました。
    有難うございました。

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