風光明媚な根岸湾沿いにあった「磯子花街」の痕跡を探るべく、現地調査を試みた!

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磯子花街跡を訪問!

磯子花街周辺の歴史を前ページで紹介しましたが、このページではこの花街跡が現在どのような状態になっているか、また現地の方々を取材するために現場へやってまいりました!

ということで、早速見て回ることにしましょう!

料亭の遺構は皆無・・

料亭や二業組合事務所があった通り

横浜市中央図書館にあった地図には幾らかの料亭が載っていたので、その地図を元に現地を捜索してみることに!

ただ、残念なことに料亭の建物は一軒も残っていないんですけどね。この通りには料亭や二業組合事務所があったようなのですが今はほぼ住宅地という感じ。

髪結いだった「クマザワ美容院」

磯子二業組合事務所の正面には「クマザワ美容院」という美容院がありました。ここは芸者さんの髪結いをするお店だったそうですが、今は建物だけが残っているだけでもう営業は終えているとのこと。。

もし営業していたら話を聞ければと思っていたんですけどね。。

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磯子二業組合事務所跡

ちなみに、ここは磯子二業組合事務所や料亭があった場所。今も割烹料理屋があるようですが、お店自体はやっているかどうかわからんでした。。ここが営業してたらちょっと訪ねてみてもよかったんですけどね。。

その他にも、この辺にあった料亭跡を歩いて回りましたが、どっこも住宅やビルなどになっていて痕跡は皆無でした。。まぁ遺構がないのはわかってはいたんですが、何かしらの痕跡は残ってないかな~みたいな期待を込めてはいたんですけどもないですね。

すれ違う方も若めな方も多く、多分花街の事聞いてもわからんだろうな~と思ったので、花街跡調査はこの辺にしときましょうか・・。

ビル名に料亭の屋号が残っていた!

ということで、花街として料亭が密集していたエリアは後にして、その場所を南下してその他の海岸沿いに建っていた料亭の跡地でも見てみることに。

磯子園があった場所は入れすらせず・・

まずは、磯子園の跡地に来てみましたがここは私有地により立ち入りは禁止。。

料亭「江戸徳」があった場所

磯子園からさらに南下すると、「江戸徳」という料亭があった場所にたどり着きました。ここにはでっかいビルが建っていて料亭があった痕跡は皆無かと思っていたんですが、、、

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ビル名を見てみてびっくり!「江戸徳ビル」として屋号がビル名として残っているんですね。

偕楽園があった場所は団地に・・

江戸徳ビルからさらに南下して、次は磯子最大の料亭だった偕楽園の跡地を訪問。とはいっても、大きな団地が建っておりその欠片(かけら)すら無いですけどね。。

偕楽園って聞くと、日本三大庭園の茨城県水戸市にある偕楽園が真っ先に思い浮かんでしまいますがそれとはなんも関係ないと思いますよ。多分。。

偕楽園があった頃はこんな感じだったようです。

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芸者さんが利用していた化粧品店

昔からやっていそうな化粧品店

磯子花街跡を一通り見終わった後、その周辺をうろついていると割と古めなお店にたどり着きました。本当にたまたまここにたどり着いたわけですが、古そうだし何か聞けるかな~と思ってちょっと店内を覗いてみることにした私。

取材に対応してくれたお母さん

すると、お母さんが出てきてくれて磯子花街を取材している経緯を伝えると、この辺の街のことを色々と話してくれました。

お母さん:「私がここに来たのは1950年だったね。その時はまだ芸者さんがいたのよ。今は向こうも埋め立てられているけどさ、昔は市電に乗って学校に行くと潮の香りがしてね〜、良かったよ。あと屏風ヶ浦のところが湾になってるでしょ。そこからは三渓園が見えてすごい岩が出っ張っていてね、東海道五十三次に出てくるような景色でとっても綺麗だったよ!」

私:「この辺は、海苔の養殖も盛んだったり海水浴場もあったみたいですね。」

お母さん:「この辺の海辺では花火も上がっていた。海水浴場ではアサリが取れたし、屏風ヶ浦の湾ではノリの養殖も盛んだった。うちのお父さんも、個小友の頃はここからパンツ一丁で海水浴場に行ってたみたいよ!」

鬢漬け油をよく買いに来ていたとか

さらに、ここは化粧品店ということで芸者さんもお店に訪れていたという。

お母さん:「ここは化粧品店だからね。芸者さんが髪を結うのに使う油、あれなんて言ったっけね、油を髪に使うやつ、、あ、鬢(びん)漬け油だ、それをよく買いに来たのよ。芸者さんはやっぱり家が貧しくて売られてきた子が多かったからね。18〜23歳くらいの若い子もたくさんいたかな~。」

花街の思い出話も語ってくれた

さらにさらに、お母さんがまだ中学生の頃なんかは芸者志望の友達もいたとか。

お母さん:「私が中学の時の友達にもいたわよ。芸者になろうとしてね、家が貧しくて新潟から来たの。でも中学を卒業したら地元に帰っちゃったね。その子は芸者さんのお姉さん達のご飯を作ったり、掃除をするなどのお世話係をしていたんだけど、自分には合わないとか言ってたね。」

そんな感じで、1960年頃くらいはまだ芸者さんがいたようで、当時はお母さんも着物姿の方を何度も見かけたという。

その他にも、この近くにあったアテネ劇場という劇場には、まだ若い頃の美空ひばりが出ていたとか、ひばりが結婚した後の住まいも裏の山の方にあったとか、この辺の歴史を色々と聞きましたよ(*’▽’)

偶然訪問したお店ではあるものの、芸者さんの話を聞けて良かった!

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